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広告賞も受賞した。でも「自分の仕事がしたい」。映像クリエイター高橋遼さんvol.2

クリエイターの仕事や生活に役立つ情報をお届けするSHOOTEST Journal。今活躍中のクリエイターをパーソナリティとして迎え、日頃仕事や私生活で感じる疑問や悩みを専門家と解決していきます。
パーソナリティの一人、映像クリエイターの高橋遼さん。ロックな生き方を求めてキャリアをスタートした高橋さんが、映像クリエイターを志すまでのストーリーをお届けします。


年間200本のプロジェクトを手がける

ーーフリーランスとしてキャリアをスタートし、ARアプリの開発やアプリを用いたプランニングを手がける事業を立ち上げた高橋さん(詳しくは第1回リンク)ですが、その後、お仕事は順調でしたか。

ありがたいことに、最初にプレゼンに行った大手代理店さんからいくつもお仕事をいただきました。並行して月に10本くらいは走っていて、年間200本ぐらい。友人が制作を担当していたので、ぼくがそれ以外のプロデューサー、プロジェクトマネージャー、営業的な役割を全部やっていました。
そんな中、あるプロジェクトでカンヌライオンズという広告賞を受賞したんです。で、その後ちょっと、燃え尽きちゃったという……。

ーーカンヌライオンズといえば世界最大級の広告賞で、栄誉ある賞ですよね。その後、なぜ燃え尽きてしまったんでしょう?

受賞した時はもちろん嬉しかったんですけども、ふと冷静になった時に、

「このプロジェクトの中で、自分の中から出てきたものが何%あったんだろう」って思ったんですよね。プロジェクトマネジメントももちろん大切な仕事です。でも、自分としては、そこに自分の要素がほとんど入っている感じがしなくて。

自分が大学の時に「こんな風にやっていきたい」と抱いていたイメージと、いつのまにかずれていることに気づいたんです。

「この先もこの世界にいたいか?」と自問自答

ーー理想としていた状態とどう違ったんですか?

広告賞をとって、芸能人と仕事したり、テレビ局でも仕事したり、思い描いていた華やかなフリーランス像は一通り体験しました。でも、そこには表もあれば裏もあって。で、「この先もここにいたいか?」と自分に問いかけてみたときに、「いや、いたくないな」と思ったんです。

その後、怒涛の日々でした。今とは違う場所に行きたいけれど、どうしたらいいか誰も教えてくれないし、全部自分でやっていくしかない。任されるのは、絶対に失敗できない大きなプロジェクトばかり。もちろんそこで力はついたと思うんですけど、365日ずっとそんな緊張感の中でやってたら、ストレスでじんましんが出たり、体調にも影響するようになって。ああ、限界なのかな、って。

僕はプロデューサーの立場なんですが、撮影現場だと「ここに本当に要るのか?」っていうような感じで。それに対して、その場でどんどん動いて映像をつくっていくカメラマンの人たちがすごくかっこよく見えたんです。僕もあんな風に現場で動いて、ちゃんと自分の要素が入っている仕事がしたいと思いました。

それで、いったん今の仕事を全部やめて、映像作家になろうと決めたんです。

未経験の世界にむかって、自己投資

ーークリエイティブの中でも、映像を目指したのはなぜですか?

映像ってどこでも使われますよね。Webメディアの編集をやっていた頃にも、インタビュー記事が動画になったりして、「これから映像が来るぞ」って言われてましたし、アプリをつくる時にも動画を使っていました。これまで、プロデュースなど、撮る以外の仕事をやってきたから、自分で撮影して両方できるようになったらいいんじゃないかと。

とはいえ、映像の撮影はやったことがない素人です。だから思い切って半年間、自分に投資することにしました。3年間働いてたので貯金も少しはありました。ちょうど仕事の切れ目でもあったので、全部やめて、映像の勉強を始めたんです。

ーー
次回は6/21(月)公開予定です。プロジェクトマネージャーとして経験を積んだ高橋さんが、未経験の世界でやっていくために選択した方法とは?また、そこで発見した自分の強みとは?

※本記事アップ時点での内容となります。法律や手続き方法、名称などは変更されている可能性があります。

1988年生まれ。2011年に独立、最先端技術からアナログ技術を結ぶクリエイティブを提案。CM、MVなどの商業映像を始め、シネマティックな世界観での映像表現を追求。海外のフィルムフェスティバルでの受賞など、映像作家としても活動している。

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